稲盛和夫の哲学

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2009年10月28日

稲盛和夫の哲学


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京セラ創業者 稲盛和夫さんの書かれた本です。
心に留めておきたい(留めておかないといけない)言葉がたくさんあります。

いろいろなテーマに「ついて、稲盛さんの考えを書かれておられます。

その中の「第12章 運命と因果応報の法則について」から、「なるほど」と思った一文を(少々長いですが)ご紹介いたします。

・・・これは私が勝手に考えたことではありません。安岡正篤さんはその著書「運命と立命」の中で、「運命は宿命ではなく、変えることができる。それには因果応報の法則が大事なのだ」という主旨のことを述べ、中国の古典「いんしつろく」という本から袁了凡(えんりょうぼん)という人物に関する話を紹介しています。この話の大筋は次のようなものです。

袁了凡はもともとの名前は袁学海といい。代々医術を家業とする家に生まれました。父を早くに亡くしたため、母の手で育てられ、彼の母は息子に医者を継がせようと医学を学ばせていたところ、ある日頬髯の立派な老人が訪ねてきて、こういいました。

「私は雲南で理法(易)をきわめた者です。袁学海という少年に理法を教えるようにと天命が下ったのでやってきました。お母さんはこの子を医者にしようとお考えかもしれませんが、彼は科挙の試験に通り、立派な役人になります。県で受ける一次試験には何番でとおります。二次試験、三次試験にも何番で受かります。そして科挙の本試験に臨む前に役人になり、若くして地方長官に任じられます。結婚はしますが、子供はできません。そして53歳で亡くなる運命です」

学海少年は実際に医者の学問をやめ、役人の道へ進みます。すると、恐ろしいぐらいに老人が言ったとおりになっていく。何番で試験に受かるかというのもそのとおりなら、地方長官になるのもそのとおりでした。すべてが老人が予言したとおりだったのです。

その後、南京の国立大学に遊学することになった袁了凡は、雲谷禅師という素晴らしい老師がいる禅寺を訪ね、相対して三日間、座禅を組みました。

「お若いのに、一点の曇りも邪念もない素晴らしい禅を組まれる。これほど素晴らしい座禅を組む若い人を見たことがない。一体どこで修行をなされたのかな?」

雲谷禅師が感心していいました。これに対して、袁了凡は子供のころに出会った老人のことを話しました。

「私の今日までの人生はその老人の言葉と一分の狂いもありませんでした。すべて老人がいったとおりです。子供もできませんし、おそらく53歳で死ぬのでしょう。だから、思い悩むことは何もないのです」

その話を聞いた雲谷禅師は一喝しました。

「悟りを開いた素晴らしい男かと思ったら、そんな大馬鹿者だったのか!」

そして、「老人があなたの運命をいったというが、運命は変えられないものではない」といって、善きことをすればよい結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれるという「因果応報の法則」を説きました。

「善きことを思いなさい。さすれば必ず、あなたの人生も好転していきます」

そういわれた袁了凡は、「自分は間違っていた。老師にいわれたように、今後は善きことをしていこう」と誓い、善きことをすればプラス1点、悪いことをマイナス1点というように、点数をつけ、日々善きことを重ねるよう努めました。その後、袁了凡は73歳まで生きながらえました。

また、できないといわれていた子供にも恵まれました。袁了凡はその子に向かってこう語ったそうです。

「雲谷禅師に出会うまでの人生は、運命のとおりだった。しかし、そのあと考え方を変え、善きことに努めたところ、おまえが生まれ、本当なら53歳で死んでいなければならないのに、70を過ぎたいまでも元気だ。なあ、息子よ。人生とは、善きことを重ねることで変えられるものなのだよ」

『運命』というものは決まってます。われわれが望んで動かせるものではありません。一方。『運命』と同時並行で流れる『因果応報の法則』は、そうではありません。この法則を使えば、決まっているはずの『運命』すらも変えられるのです。

このことを『立命(りつめい)」といいます。そうであれば、われわれは「運命」を変えることができる、この「因果応報の法則」をもっと有効に使うべきだと私は考えています。

 ・・・・・う~ん、長かった(笑)

でも、大切なことを教えてくれてる文章だと私は思います。

正直、私は若いころ、ロクな事をしてませんでした。因果応報の点数でいえばマイナスの点数のほうが多いと思います。今から、善いことを重ね、失点を挽回し、プラスを少しでも増やしていlこうと思います。